森本千賀子とは

代表紹介

森本千賀子からご挨拶

大学3年生の時、一冊の書籍との出会いがわたしの人生に大きく影響しました。
終身雇用・年功序列制度が当たり前の時代に、アメリカでは転職により自身のバリューアップを実現していくと言うメッセージに衝撃を受けました。いつか日本もそんな時代が到来すると直感しました。

起業した父の背中を見て育った私は、中小企業の経営において大事なものは「ヒト」だと実感しました。日本において約99.7%と言われる中小企業を応援したい。最も苦労していた「ヒト」にフォーカスしたい・・・そんな想いからこの業界に飛び込みました。

AIやロボットが労働力を代替する時代が現実となった今でも、人が介在する価値ある仕事、その人がより輝ける場所は必ずあると信じています。その解を一緒に伴走し、ナビゲートしていければと思っています。

株式会社morichでは、「転職エージェント業」を核にお客様、そしてご縁のあった皆様の「オールラウンダー(全方位)エージェント」として多様なソリューションマッチングを推進していきます。採用(斡旋)という点のソリューションだけでなく組織・人事に関することすべて、マルチにオールラウンダー(全方位)にです。

全方位型で必要なシーンでタイムリーにソリューションすることが目指す姿です。企業組織だけでなく、個人・ヒト一人ひとりに向き合い、まさに目の前の「困っていること」に対して徹底してお応えしていきたいと思っています。

期待に応えるだけでなく、期待を超え感動や感謝の域に辿り着くことが真のソリューション。まさにWILLに突き動かされ、独立を決めました。一社一社、お一人お一人とのご縁を大事に関係を育んでまいりたいと思っています。
ご縁のあった皆様から受けててきた「ご恩」をしっかり社会に還元していきたいと思います。

多くのご縁・出逢いに感謝し、このご縁が今後も更に広がりますよう、更に明るい希望にあふれる社会になりますよう心を込めて祈念いたします。

地球上にいる70億人分の1人の奇跡のご縁に感謝し、様々なチャレンジを通して、”人間力”を磨きこみ、”人”として更に成長できるよう精進してまいります。これからも株式会社morichの応援団としてエールをお送りいただけましたら幸いです。

経 歴

1970年生まれ。故郷滋賀県で高校まで過ごす。獨協大学外国語学部英語学科卒。
1993年リクルート人材センター(現リクルートキャリア)に入社。転職エージェントとして、大手からベンチャーまで幅広い企業に対する人材戦略コンサルティング、採用支援サポート全般を手がけ、主に経営幹部・管理職クラスを求めるさまざまな企業ニーズに応じて人材コーディネートに携わる。3万名超の転職希望者と接点を持ち、2,000名超の転職に携わる。1,000名を超える経営者のよき相談役として公私を通じてリレーションを深める。
累計売上実績は歴代トップ。入社1年目にして営業成績1位、全社MVPを受賞以来、全社MVP/グッドプラクティス賞/新規事業提案優秀賞など受賞歴は30回超。常にトップを走り続けるスーパー営業ウーマン。プライベートでは家族との時間を大事にする「妻」「母」の顔も持ち、「ビジネスパーソン」としての充実も含め“トライアングルハッピー=パラレルキャリア”を大事にする。
2017年3月には株式会社morich設立、代表取締役として就任。25年在籍していたリクルートを2017年9月で卒業。同年10月に独立。
エグゼクティブ層の採用支援を中心に、転職・中途採用支援ではカバーしきれない企業の課題解決に向けたソリューションを幅広く提案、HRソリューションに限定せず外部パートナー企業とのアライアンス推進などのミッションを遂行し、活動領域も広げている。
また、ソーシャルインベストメントパートナーズ(SIP)理事、放課後NPOアフタースクール理事、その他社外取締役や顧問、アドバイザー、アンバサダーなど「複業=パラレルキャリア」を意識した多様な働き方を自ら体現。
3rd Placeとして外部ミッションにも積極的に関わるなど、多方面に活躍の場を広げている。
本業(転職エージェント)を軸にオールラウンダーエージェントとしてTV、雑誌、新聞など各メディアを賑わしその傍ら全国の経営者や人事、自治体、教育機関など講演・セミナーで日々登壇している現代のスーパーウーマン。2男の母の顔ももち希望と期待あふれる未来を背中を通じて子供たちに伝えている。

沿 革

1970

人のため、社会のため、世のため・・。使命に目覚めた幼少期

1970年7月9日、自然が豊かな滋賀県高島郡(現高島市)マキノ町にて、森本千賀子は産声をあげた。
兼業農家の中で両親ともに平日は仕事、休日は農業と、とにかく忙しい家庭環境で育ったこともあり、弟とはとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。しかし、悲劇は突然訪れる。弟が難病指定の腎臓の病気「ネフローゼ」を発症したのだ。家族の愛情が弟に集中する日々。でも、寂しいどころか、何の不自由もない自分は弟に何がしてあげられるのか…。そんなことを漠然と考えていた。
そこで、現世にも語り継がれ、世の中に影響を与えた人の生き方を学んでみようと偉人伝の伝記を読み漁る日々だった。そこで見えてきたことがあった。現世に名を残す人には共通点がある。「自分のためだけではなく、人のため、社会のため、世のために自分の人生をささげた人たち」が語り継がれる人の生き方。以来、森本の生き方は「利他の精神」が基本に。弟のため、人のため、社会のため、世のために何ができるのか‥・。森本の価値観の原点はここにあった。
一方で母からは毎日のように「一番を目指しなさい。一番でなければ人の記憶には残らない。金メダルと銀メダルには大きな差がある。一番でなければ見えない景色がある。」その言葉のとおり、どんなことも努力し一番を目指した。いつの間にか一番を目指すことが原動力にもなっていた。

1983

自ら決断した、大きな選択

中学・高校も地元の学校へ進学。毎日の登下校での激しい坂道や、ソフトボール部での過酷な練習メニューによって、森本は気合と根性を身につけ、チームで闘うことの楽しさを知る。一方で、田舎を離れ、真逆の環境で生活したいという気持ちが芽生えた。その想いは日に日に強くなり、「東京の大学に進学したい」と両親に伝えた。すると、「好きなことをやりなさい。本気なら、自分ひとりでやりとげてみなさい。」両親からの言葉通り、受験校も自ら探し、受験に向かう。東京駅に降り立ったその時、不安よりもワクワクでいっぱいだった。結果は…合格。上京当日、覚悟を決めて地元を離れる森本の元には、50人以上の同級生が集まり、駅のホームで校歌斉唱をして見送ってくれた。自分の決断は間違っていなかった、希望に満ちた明るい未来に向けた最初の一歩だった。

1989

運命が決まる一冊との出会い

平成元年、獨協大学での大学生活がスタートした。部活は、憧れの「ラグビー部」。入学早々の練習試合を観てその場で即断。マネージャーとして選手の活躍をサポートする、人を支える立場にやりがいを見出していた。
就職活動を目前にしたある日、一冊の書籍と出会う。その書籍には、アメリカ市場における人材ビジネスのことが書かれていた。日本では終身雇用・年功序列制度が当たり前だった時代、アメリカでは自身のバリューを上げるため、場所を移りながら、転職をしていく。「いつか日本もこういう時代が来るはず」森本に衝撃が走った。「大好きな父が、企業経営の中で特に苦労していた、『ヒト』にフォーカスした仕事がしたい」。その想いとシンクロして、森本は、リクルートの子会社でもある「リクルート人材センター(現:リクルートキャリア)」への入社を決意。「転職エージェント」という、後の天職への第一歩を踏み出した。

1993

生意気な新入社員が見た景色

「今年、必ず全社員の中でMVPを獲ります」。入社式で真黄色のスーツに身を包み、森本は堂々と宣言。有言実行、なんとその言葉通り、入社1年目にして営業成績1位を獲得し、全社MVPを受賞。しかし、その輝かしい結果の裏には、数々の努力があった。入社して、5月早々に新規開拓でご縁のあった某オーナー企業との出会いが、ビジネス人生にとっての最初のターニングポイントとなる。7月に迎えた誕生日、そのオーナー社長から、20冊を超える書籍と手紙が届く。「このままいくとすぐに営業として天井が見えて賞味期限を迎えるよ。ダントツの一番になるには、『経営』を学びなさい」。手紙を読み、激しい焦燥感に襲われた森本は、常に鞄に書籍を入れ、週末は専門学校に、他にもセミナーや研修、講演会へ赴いた。学びは習慣へと変わり、表面的ではない本質的な対話にこだわり、「潜在ニーズを掘り起こして提案する」スタイルを確立。気づけば、MVPの常連となり、いつしか森本のもとへ貴重な情報やチャンスが集まるように。「“もりち”ブランド」なるものが築かれていく手ごたえを感じていた。「一番になることは目的ではなく手段だったんだ…」。母の言っていた景色が見えた瞬間だった。

1999

自ら決断した、大きな選択

29歳で結婚、33歳で長男を出産。出産後も仕事を辞めるつもりがなかった森本は、わずか3ヶ月の息子を保育園に預ける決意をした。泣き叫ぶ我が子。そんな我が子を目にして、森本の頬にも涙が伝う。「何のための仕事なのか?」大義について思いを巡らせていると、父の背中が頭をよぎる。「そうだ、私は中小企業を応援したいんだ。父が会社経営で一番苦労していた”ヒト”の課題解決を全うしたい、それが私のミッション。」森本に迷いはなくなった。
ある時、父から1本の電話が入る。「経営危機」。飛んで帰った実家の家業で見たのは、借金の山だった。やりきれない思いを抑えながら、父の会社の倒産準備に入る。住み慣れた実家や地元を失い何千万もの借金を肩代わりして背負ったが、唯一残された財産があった。それは、「人との信頼関係」「つながり」「ご縁」。多くを失う中で、大切なことに気づかされた。
そしてもう一つ大きな意味を知った。借金返済にくじけそうになりながらも、あきらめずに誰を恨むこともなく、ただ自分を信じて一生かけて償う覚悟を持っていた。そんなとき、リクルートが株式上場を果たす。奇跡が救ってくれた。リクルートの持ち株会に入っていた私は、借金を完済することができた。その過程の中で大事なことに気づかされた。「お金は天下の回りもの」。人のため、社会のため、世のための貢献に向けて、一生懸命努力していれば、必ずチャンスは巡ってくる。まさにそのことを体現した経験となった。

2005

人生を彩るサードプレイスの存在

35歳を過ぎた森本に与えられたのは、70名近くの新入社員だけの組織を1年かけて育成するという重要なミッション。マネジメントの楽しさを体感していたこの時期に、二人目を身籠る。不妊治療に二度の流産という辛い経験をしていた森本にとっては、奇跡のような歓喜の瞬間。しかし、チームメンバーの1年目の卒業を見届けられない悔しさもあった。
復職後は、自己完結型のコンサルタントの道を選択。「組織マネジメント」に対し、やり残した想いがあったが、子育てとの両立を考えた上での判断だった。持て余すパッションやエネルギーの矛先は社外へ。書籍の出版、セミナーや講演での講義、NHK番組「プロフェッショナル~仕事の流儀~」への出演、NPOの理事、ママコミュニティ…と、数々のサードプレイスの存在は、森本の人生にさらなる彩りを加えてくれた。

2016

卒業、そして第二章のスタート

2016年の夏を過ぎたころ、森本の心はざわつき始める。25年間所属した大好きな場所、リクルートからの「卒業」を初めて意識した。これまで、大好きなリクルートを離れることなど想像すらしなかった。しかし、これからの人生や働き方について、徹底的に考え抜いた結果、無理なく心は決まった。
「働き方改革」の波が押し寄せている状況下、これまで森本が提唱してきた「パラレルキャリア」の考え方を自身で体現すべく、株式会社morichを創業。子どもたちが安心してチャレンジできる未来がある。そんな社会を創るため、「幸せの赤いもりち」が目指す姿は、「All Rounder Agent」として、かかわる人の人生に寄り添い、より輝ける舞台を共に見い出すのが株式会社morichのミッション。期待に応えるだけでなく、期待を超え、感動や感謝の域に辿り着く。目指すは、「困ったときのもりち」の究極の形。”もりち”から”morich”、森本の第二章は幕を開けたばかりだ。